グリーンサークルのオーナー兼セラピストの河野侑賀梨です。

2017年に世界最高峰の精油メーカーであるプリマヴェーラ社認定のアロマケア資格を取得し、国内外でセラピストとして活動を続けています。施術をメインとしてスタートしたグリーンサークルですが、より多くの方の不調緩和を目指し、ウェブカウンセリングや、オリジナル商品を開発。こちらのショッピングサイトを立ち上げ、より多くの方々へ上質なアロマをお届けすることが可能になりました。

 

私の自己紹介として、講演会などでもお話しさせていただいたことのある、幼少期から抱える不調から、アロマとの出会いまでのお話をご紹介させていただきます。


1】病弱で入退院を繰り返した幼少期

 

製鉄加工会社や貿易会社、スイミングプールなど、多岐にわたる事業を経営をする父と、小学校教員の母を両親に持ち、第一子の長女として広島県広島市で生まれました。

産まれた時は早産で低体重、また出産の際に臍の緒が首に巻き付き酸欠仮死状態。3歳まではとても身体が弱く発達も遅めでした。また、アトピーや喘息も発症し、頻繁に発熱をしては、医師と薬品にお世話になっており、とても健康とは言い難い子どもでした。
その一方、内面的には自然が大好きで「石には気持ちがある」「樹に聞いてみよう」「ここの土に寝そべると元気になる」と言い、自然に対していわゆる第六感を働かせ、大人からしてみたら不思議な子だったと思います。(この第六感については成長過程で話をすると気持ち悪がられるのが嫌で徐々に話さなくなりました)

 

小学校に入る頃には、スイミングや合唱団で体力をつけてゆき、ゆっくりだった成長も気にならないほど楽しく過ごすことができていました。しかし、小学校6年の卒業間近のある日、父親が熱を出し、半年後に肝臓がんで他界。あまりの突然の事で母も憔悴し、私も数年は精神的に大きなショックで体調も悪くなり、苦しい日々を過ごしました。

父の死後、中学生になった頃から、花粉症や鼻炎に悩まされ、加えて月経も始まってしまいます。その月経痛が凄まじく病院にかかりますが、処方されたのは大量の薬。その副作用で吐くのにどんどん太っていき、副作用の怖さを知ります。また、14歳の時インフルエンザにかかり、打たれた点滴で薬物ショックを受け救急搬送されます。

この頃から、病院を信用できなくなり、自分で自分を守るために現代医学や薬、また自分の体質に関して考えたり調べたりするようになります。

漢方や鍼灸などを取り入れ、試行錯誤の日々が始まります。


2】今の私の思考を作った高校時代

 

高校では苦手だった英語を克服するために、あえて英語コースを選択。アレルギー体質の私に3ヶ月も留学をさせられないと母からは散々反対をされましたが、結果的には留学先のオーストラリアが大自然の中だったことで、逆に体調が良かったのです!!

さらに、迎え入れてくれたホストファミリーがロンドン出身の素敵な人で、日本では体感することができなかった価値観に触れることができました。

この高校の3年間は、英語の取得によって得られる情報量の拡大、価値観や視野の拡大など、私の人生で大きなひとつの転機でもあります。

 大学進学のタイミングで上京。感覚的な表現に惹かれ、西洋芸術史を専攻しました。「芸術を産み出す人・その背景・普遍的真理」について調べる日々で、取り憑かれた様に図書館入り浸り、アルバイトでお金を貯めては海外も含め展覧会やアーティストに会いにいきました。この頃にも常備薬を持って生活をしていましたが、何かに夢中になっているせいか、不調を感じてはいませんでした。

3】再び不調に悩まされるOL時代

 

卒業後は印刷会社を経て出版社の宣伝課に配属。充実した日々を過ごしていましたが、本当に忙しくて、今思い返せばなぜ辞なかったのかと思うほど、体調はつねに不調かつ不安定でした。体調を崩しては仕事の合間に婦人科と消化器内科、接骨院やマッサージに駆け込み、誤魔化す日々。それでも周りの先輩にはもっと体調不良な方もいた事や、社内の雰囲気は良く、みんなでバランスボールを椅子にして仕事をしよう!とか、ゴルフやマラソン、ジョギングなど、遊びを加えながらも本気で仕事するという、マスコミマジックにかかって「この業界はこんなもんだ」と楽しく過ごしてしまいした。

 

忙しい中のたまの休みくらい海外旅行へ行こうよ!と、妹とトルコ旅行のツアーに参加した時、今の夫と出会いました。トルコ人ではありませんよ(笑)同じツアー参加者側の日本人です。

夫は免疫学の医療研究者をしており、付き合って5年目の春、ドイツの研究所に呼ばれてベルリンへ。30歳の私は、“海外在住の研究者妻”、となりました。

4】戸惑う文化の違いと、自然と生きる姿への感動

 

西洋美術を専攻していたこともありヨーロッパは大好きでしたが、ドイツには興味も渡航経験もなく、予備知識が皆無。「ベルリンの壁のあるところ」という事と、「ダンケシェン(ありがとう)」くらいしか知りませんでした。

 

引っ越しにも苦戦し、いくつかの段ボールうち1つが行方不明になって半年後に発見されたり(しかも届くのではなく取りに来いと言われドイツ語もマスターしてない頃でしたので大変でした)、家賃と電気代がセットでめちゃくちゃ高額だったり、お酒類より水の方が高い…。語学学校のテキストの中では「風邪を引いたら教会に行こう」のような原稿があって驚いたり。旅行では感じない、住んでみないと分からない衣食住の常識の違い。日本の当たり前は全く存在しませんでした。


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